その4 初めての本格的女の子体験
わたしの学生時代、本格的に女装するのは今と違って限られていたし、情報もほとんどありませんでした。今では動画等で女装体験あげられている若い方とかいらっしゃいます。SM系の雑誌で女装するまたはさせられる男性の話が稀に出てきたりしてました。『奇譚クラブ』って雑誌は既に廃刊されていましたが、そうした雑誌の老舗でそうした小説も掲載されていたと聞いたことあります。
ウイキペディアにも以下のような記述があります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%AD%9A%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
「1947年12月号には男娼、男妾の記事があり、創刊年の頃から男色や男性同性愛についても取り上げていた。」
そうしたSM系の雑誌以外に書店で女装雑誌『クイーン』を発見した時は、ときめきました。こんな雑誌がるあるなんて。でもビニールで包んであって中は見れませんでした。そういえば当時ビニール本なんていう、アダルト本が流行っていました。値段も高かったけど、またアダルト系の雑誌を書うのと別の恥ずかし思いがしました。何回か迷ってその本屋にいって、やっと決意して買ったのを覚えています。アダルト本を専門に売っている店でした。内容は、ほとんどアダルト的な要素はありませんでしたし、その後定期的に購読することになりました。
投稿したりもしましたが、また別のところで紹介します。
また週刊誌を始め、女装の老舗であるE会館が「あなたも女になれる」といった宣伝をかなりやっていた東京の神田のE会館に言ってみたいと思ってました。こちらもいわゆる風俗店に行くより、もっと勇気のいることでした。大阪にも支店ができていましたが、東京に行った時に、当時神田にあった本店に行ってみました。まず入店するまでに何度近くを行き来したことでしょうか。
店内に入って、いろんな商品を見ましたが、街の中の婦人用のお店や化粧品店とかをよく見歩いてたので高価すぎる印象を持ちました。またわたしの場合、当時は160センチ、45キロしかなかったので十分街の一般女性用で間に合ったのです。特に大きなサイズじゃなくて着れました。ここで買い物はわざわざしたいとは思いませんでした。でも美しく「女装してみたい」という気持ちが強く、恥ずかしそうに小さな声で「女装したいんですけど」と女性の店員に伝えました。「下着は買ってください。」といわれ、高い下着を買って中に入りました。お洋服は、ワンピースが好きだったので、ミニの淡い水色のワンピースを選びました。時間をかけてお化粧してもらいました。本格的なメイク初めてで、すごくうれしかったです。それまで我流でしたから。最後に目をつぶってっていわれて、目を開けてみるとロングヘアーの女の子が写っていました。ロングヘアーのあたしを見るのはこのときがはじめてでした。あと名前も決めないといけないねといわれました。わたしが首をかしげながら何にも言えないでいると「みゆき
みゆきちゃん」にしようかと言われました。そのままわたしは「はい」と答えました。最初の女装ネームみゆきちゃんの誕生です。そして何人か別の女装者のいる部屋へ案内されました。
その人たちが話しかけきたのでしたが、あたしは、自分の女装が人前で見られるのは初めてだったし、恥かしかったので小さな声で受け答えしてました。そんなあたしが、気にくわなかったのか。あたしがかってに思い違いしただけかもしれないのだけれど「あなたって、まだ男ね。」とか新人いじめじゃないけど、傷つくようなことをいわれた記憶があります。彼そういうことを言った彼女たちも決して美人じゃなかったと思います。大柄の男でした。
女の子の気持ちになって、見た目も女の子の喜びだったのですが、哀しい気持ちに変わってしまいました。
お化粧を落として、男の子の格好に戻って、やっぱり女の子の気持ちになることとが好きなわたしもしょせん男の子でしかないのかな。そんな気持ちで、下着のお持ち帰りで新幹線に乗りました。とっても素敵な時間でしたが、ちょっと複雑な王気持ちでした。お城のぶどう会で王子様と踊ってすてきな時間をすごしたあとのシンデレラのような気持ちでした。
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その3女子大生デビューできたらよかったのに 第3章 https://t.co/50xAjXWZix
11-29 08:39
第3章 その3女子大生デビューできたらよかったのに
女子高校生から女子大生へ。大阪の大学に進学しました。セーラー服を脱ぎ捨て、おしゃれしてファショナブルな女子大生デビュー。そんな夢を見てたのですが、現実は毎日の生活でせいいっぱいでした。
スカートやワンピースとかお洋服とか買おうと梅田とか難波の地下街とかよく見て回りました。店員さんにあやしまれたことあったんですが、よく「プレゼントですか」って聞かれました。「ううん違うの。あたしが着るの。似合ってるかしら。」とかとても言えませんでした。
親からの仕送りとアルバイトでの収入でした。ブラジャーやショーツといった下着女装から入る人もいますが、あたしの場合、下着より女の子らいいかわいいお洋服に興味がありました。スカート、特に女の子らしいワンピースが好きでした。JAJAとかCANCANといった女性向けファション雑誌を見るのが好きでした。喫茶店とかで見たりしてました。自分で本屋さんで買ったこともありましが、買うのがすごく恥ずかしかったです。ある意味小学生がアダルト雑誌を買うような感覚がありました。女の子たちが高校生のとき着てたり、買ったけど着ないで売りに出したり、そういったお店がどこの学園祭にもあって、そんなお洋服を安く仕入れるのに役に立ちました。フリーマーケットですよね。同世代の女の子たちですから、わりと志向や趣味があって助かりました。スーパーとかの安売りの小売店で買うこともできたのですが、どうしても安いのはおばさん向けばかりでした。
また女子大生デビューしたわたし。女子大生としてキャンパスを歩くわたしを一人で妄想して、自分の世界に入っていました。
女装コンクールなんて最近もよくやってるけれど、当時もやっていました。「おかま」ってみんなに笑われそうで、出場してみたいとは思いませんでした。こんな企画は見世物にされるみたいで嫌いです。ほんとに女装したい人や女の子の心をもった人は、どう思うでしょうか。抵抗あると思います。おふざけの女装、笑いをさそうような女装は、いやです。会社の宴会などでもそうした受けをねらった女装があったりしますが、私は不愉快になります。セクハラだだと思います。男が女装して笑いを取るなんて、耐えられないです。自分が笑われてるようで、いやです。今でもそうですけどトランスジェンダーの人で現状に悩んでいる人から見ると、自分が笑われているようで嫌になると思います。
帰省と女装
福岡で一人暮らしはじめましたが、お正月とかお盆とかは帰省しました。それまで自宅で女装したことは、ありませんでした。しかし帰省すると母親の化粧道具や衣類が、気になって仕方がありませんでした。だれもいないとき、そーと口紅を塗ってみました。ファンデーションも塗ってみました。あとマスカラー、アイライナー、アイシャドー・・・。すると女の顔みたいに見えました。あと化粧品の香りにもうっとりしました。やっぱり絵の具とはちがいました。また母親が洗濯のため、脱いでいたブラジャーやショーツ、キャミソールをみつけ、お風呂場でそーと身につけてみました。だんだん気持ちが高ぶり、母親のタンスの中から、ワンピースをみつけ、着ちゃいました。そしてタンス中から、セミロングのウイッグも見つけました。一女装したあと、そーとかぶって見ました。母親が帰ってこないかとドキドキしてました。この女装するまでの過程は、惑うこともなくスムーズに進みました。
鏡をみると若い女の子が鏡の中から見つめていました。案外かわいくて、どこかで見た子だなと思いました。母親の若いころの写真に似てました。そのまま鏡を見ながら、笑ったり、泣いたり、いろんな表情して「女の子」を楽しみました。わたしの最初の完全(?)女装でした。他人が見たら、男にしか見えなかったでしょうけど、あたしとしては、心のままに女の子になった最初の瞬間でした。でもだれかこないかドキドキしながらの30分ほどの時間でした。急いで着替え、メイクを落としました。メイクが、なかなか落ちなくってあせった記憶があります。
こうした帰省女装をその後も何回か繰り返しました。
それから自宅には子どものころからのアルバムがあります。一人で古いアルバムを見ながら、かってにミニのスカートとスモックをはいて幼稚園に通うわたし、小学校の体育の時間でブルマーをはいて、ドッジボールをしているわたし、高学年になると胸が膨らみはじめ、初めてブラジャーをしたときの恥ずかしい気持ち、中学時代のセーラー服のわたし、アルバムに写っているわたしは、男の子なのですが、かってに女の子としてありもしない過去を勝手に妄想したりしました。
たまに帰省すると父親とは、話はあまりしないが母親とは話が弾むことがありました。あるとき母親は、次のようなことを話してくれました。「あんたのひとつ上にお姉さんがいたの。生まれてすぐに病気で亡くなくなったの。最初の子どもだったから、とってもつらかったの。その子が死んでしまって、その子の生まれ変わりがほしくってね。それがお前だよ。生まれる前は、女の子が生まれてくるって思ってたんだよ」
AkiTaniga
女の子の仕事が好き 看護婦、保母、美容師 https://t.co/hSw7kAjK6L
11-27 18:41
第2章 思春期をむかえて 女子高生だったらよかったのに3 女の子の仕事が好き ‐看護婦、保母、美容師‐
思春期編で、書きたいと重いっていた職業調査と意識のことを書き忘れてました。
小学生のとき以来何度か将来の職業調査や学級担任が将来の夢について作文を書くようにとか言われたりしました。子ども時代は特に男の子と女の子では大きな職業意識の違いがあったと思います。ほとんどの男の子の場合、プロ野球選手とかパイロットや警察官といった男性的な職業をあげたりしてました。わたしは、そういった男ぽい仕事は性に合いませんでした。嫌いでした。またスポーツをして体育会系のマッチョな体になるのは絶対いやでした。高校時代はジョギングで5キロから10キロ走っていたので慎重158センチ、体重42キロぐらい。身長も高くなかったのでたぶん、女の子の中にまぎれても目立たなかったと思います。
わたしは将来の職業としてどんな職業を思いついたかというと保母、看護婦、美容師といった職業です。女性的な職業というか女の子が将来の職業としてよくあげる職業を思い浮かべたりしました。今日では男女雇用機会均等法もできて、保育士と看護師ですけど。また少し前に流行ったカリスマ美容師など男性ばかりでした。今日では男女の職業の垣根はほとんどなくなっているといってもいいですね。当時職業調査でそんな職業を書く勇気はありませんでした。ほとんどが白紙状態で「まだ決めていません」って書いてました。「男のくせに」なんて笑われそうで。また女の子がそいうった職業を書いてるのをみてうらやましく思いました。
ただしあたしがそういった職業にあこがれたのは、女性の職業としてあこがれた。保育士でなく、保母でないといけなかったのです。看護師でなく、看護婦でないといけなかったのです。女の子としてのあたしが就く職業をイメージしてたのです。ただ今だったら男性でも希望しやすい職業に変わってきていると思います。
私のイメージした保母さん。子どもとたちに絵本を読み聞かせ、人形劇や紙芝居をして楽しませる。そして子どもたちからスモックを着たやさしいお姉さん先生と思われたいという気持ちだったのです。もちろん子ども好きでしたけど。
長い髪をまとめナースキャップをつけた白衣の天使としての看護婦なのです。患者さんからしたわれ、ちょってエッチな男の患者からお尻をさわられながら、「やめてください」といいながら、やさしく微笑むあたしなのです。でも面倒見がよく、人のお世話するのが好きなのも事実です。
もちろん美容師のあたしは、自らもきれいにメイクし、流行のヘアースタイルを取り入れ、美しい髪をしてるんです。お客さんから「先生のようなヘアースタイルにしてください」といわれるあたしなのです。当時からメイクや女性の髪形にすごく興味があったのです。
OLの制服にもあこがれたりします。OLや看護婦スタイルの女装に興味ある人いますよね。
女の子の装いとしての女装、ブラやショーツの下着からして、男の人の装いと比較してかわいいと美しいが基本ですよね。女の子のセーラー服と男の子の学生服。まったく対照的です。その後の装いもまったく異なるのです。
あたしの職業意識、女の子ならたぶん、普通というかノーマルなありふれて意識だったのでしょうけど。結局なりたい職業結局一度もカミングアウトしたことはありません。
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第3章 一人暮らしの中の女の子体験 女装の助走(予備校生活の中で) https://t.co/uJneXCNTxx
11-26 22:39
第3章 一人暮らしの中での女の子体験 女装への助走(予備校生活の中で)
あたしが、本格的に女装をはじめるのは、このあと大学に入って、一人暮らしを大阪ではじめてからなのです。高校までは、女の子の気持ちを生まれつきに性である男の子が押さえつけていたのです。それが妄想となったり、何らかのかたちでそれが周りの人間に伝わり、書いているようなエピソードを生み出したのではないかと思います。
《女装への助走 予備校生活》
高校を卒業して、親元から離れて、福岡で暮らし始めました。といっても最初は予備校の寮生活でした。寮は相部屋であったのですが、相手と愛称が合わなくて、苦労しました。わたしは、大学進学のため勉強をがんばったり、授業にもしっかり出席しました。まじめな浪人生でした。相部屋の相手は、途中から授業にも出ないし、遊びまわっていました。また部屋に女性のヌード写真をペタペタはったりして、わたしはそれもいやでした。
たまの休みの日には、息抜きもしました。勇気を出して、中州の映画館に日活のロマンポルノを見に行ったこともありました。思ったよりストーリーもあって面白かったです。しかしセックスの場面など女性の方に感情移入して見てしまうのでした。レイプするというよりレイプさされるという感情です。現在では、名作も多く美保純さんのように有名になった女優さんや人気の監督さんも多く、日活ロマンポルノの評価は大きく変わっているようです。ストリップショーも見に行きました。女性の体の美しさに感動すると同時に女性の大切な部分を見て、なんともいえない神秘的なものを感じました。いずれにせよ普通の男の感覚とは、違った感情だったような気がするのです。ただソープランドには、どうしてもいけませんでした。女の人に男のものを挿入するのは抵抗がありました。
男子寮での生活ですが、ある日トイレのゴミ箱の中からブラジャーを見つけました。衝動的に広いあげて隠すと走って自分の部屋にもって帰りました。新しい使ってないようなブラでした。その後トイレとかで一人でつけて見たりしました。また親元も離れての生活で髪の毛もある程度長くなってました。耳が隠れて、後ろで一つ結びやサイドで2つ結びもなんとかできるようになっていました。鏡をみてそうした女性的なヘアスタイルをつくってみたりしました。お化粧道具は持ってませんでしたが、サインペンやボールペン、色鉛筆、マーカーを利用して、リップやアイシャドウ、マスカラのようにして使って、自分でメイクもどきのことを始めるようになりました。そうして鏡を見ると女の顔になっていると自分で思ったりもしました。ただ女性の下着やメイク、ヘアスタイルにそういった興味をもっている自分にたいして嫌悪感もありました。
こうして少しずつあたしは、女装の世界へ入っていく助走を始めたのです。
AkiTaniga
私っておかまなの? 女子高生だったらよかったのに その2 https://t.co/WtV9MXPNru
11-25 23:21